1991-2017

ソール・ライター展

鏡のなかの姿、雨粒に反射する僅かな光、窓越しに写る曖昧な姿形をした人物・・・。

ただでさえ、写真というのは撮影者が切り取るものなのに、
鏡や、雨粒や、窓が切り取った被写体を更に切断する・・・。

大胆な色彩だと思いつつも、緻密さが伺える写真ばかりだった。
とくにファッション誌のために撮影していたもの(ソール・ライターがビジネスとして撮影していたものたち)は
帰宅してホッと考えてみた今、写真から情報を読み取ろうとすると疲れた・・・。


無視されるとは偉大な特権である。

ソール・ライターは
街のペンキ塗り屋の仕事風景や、靴磨き屋の靴を写真に切り取っていた。
地下鉄の階段で、項垂れるように座る人。

日常のなんでもないような 見逃してしまいがちなこと・もの を切り取り
その存在にスポットライトを当ててくれる。
彼の世界の色が写真にそのまま表れているようにさえ思った。

『日曜の朝、修道院にて』は、
日常のこまかなことを汲み取るのが巧みな彼だからこその美しい写真だった。

共通認識としての「大切なこと・もの」・・たとえば恋人や家族・・・というような存在も
ソール・ライターの世界では際立って鮮やかで、
芝の上に寝転がる女性の呼吸が聞こえてきそうな、その場の空気を吸ったような
なにかが吹き抜けた印象を残して今もボンヤリと(まるで自分の、ずぅっと過去の思い出のように)浮かんでくる。

幸せの秘訣は何も起こらないことだ。
幸せはどこだ?と探したり、幸せになりたい!と叫ぶと
生存本能強そう・・・と思う・・・。
繰り返しの日常から自分の視点で幸せを切り取るほうが自分は好きだ・・・。
でも、これは・・・「くだらない!」と切り捨てるひともいると思う・・・。
切り捨てないまでも、「それがどうしたの?」で終わってしまうことかもしれない。


このソール・ライター展、平日にも関わらず結構混んでいた!
そこで 進路順に進んでいくんだけども
すぐ隣にいたご婦人が作品の横で、一人、フフ。。。っと笑った。

文字の書いてあるプレートで
カメラのアシスタントが「また傘の写真ですか?」と呆れるのを
ソール・ライターが「僕は傘が大好きなんだ!」と返すエピソードが書いてあった。

だからこのご婦人は、ソール・ライターの無邪気さに笑みがこぼれたのか?と、その場にいた私は思った。
でも、話だけを聞かされた友人曰く、「バカにしてフフっと笑っちゃったんだね」と仮説立てていた。

なるほど

・・・
誰かの笑みがこぼれる瞬間を目撃したことの、なんと稀有なことか!

その笑みがあどけなくて
くだらなくて(私はフフ。。と笑う価値観は持ち合わせていなかった)


とるにたらない存在でいることには、はかりしれない利点がある。

展示会のなかでは、ヌード写真の隣のパネルにそう書いてあった。
「ささやかで濃密な女性との時間が彼の芸術への・・・」とあったけど、ちょっと違うかなあ?とか思ってた。