1991-2017

人脈・・・

ひとは よりよい生活を過ごすために集団を作る。

一人の力ではどうすることも出来ないことを、他者と協力することで実現させようとする。

信頼する仲間と集まり、楽しみを倍増させる。
夏のバーベキューなんかはそうだろう。
私には誕生日パーティーのほうが楽しそうだ。
(誕生日パーティーの記憶は遥か彼方、小学生の時にまで遡る・・・)

「子どもは純粋でいい」なんてはよく聞く言葉だ。
悪意のない純粋な感情で人と関わるのだから。
賢い子どもはすでに損得勘定を前提に人間関係を構築していくと聞くが、少年犯罪を扱う小説でしばしば見かけるのみで現実ではお目にかかったことはない。

損得勘定ではなく、「自分」の感情を押し出すことが得意なんだろうと思う。
女の子なら「○○ちゃんかわいいね!こんどその髪型おしえて」とか
男の子なら「新しいゲームを持ってるんだな!お前んち遊び行かせてよ!」とか・・・。
自分より可愛い同級生を妬んで虐めをするなんてことがあるところには「感情のコントロール」が足りないと判断されるが、
成長するにつれて「感情のコントロール」が出来てくると虐めよりも筋の通った復讐にも似たおぞましい事態が起こりえる。

まず、高校生にもなって「外見の優劣で交友関係を決める」という人は、幼い思考をしているくせにやることは妙に巧みだ。
小学生たちの虐めが「上履きを隠す」「わるくちを言う」「ありもしない噂を広める」など攻撃的なものであるのにたいして
中高生は「○○ちゃんを嫌う組織」を作り、裏切り者が現れないように監視しあう。
小学生がする悪いことも巧みだ。
しかし、中高生にもなると個人の力が高くなるため、感情をぶつけられる側の絶望は大きい。

個人の力とは例えば
人を傷つける言葉の選びかたや、その多さであったり
女の子なら整った体型であったり
男の子なら腕っぷしだったりするもの。
「虐められる側にも問題がある」と認識させられるもの。


集団によっては、集団が崩壊しないために感情をコントロールしていない人を落ち着かせようと、やんわり否定するのだが、彼彼女らはアホなので気づかない。
・・・気づいていても、「これが正しい」と決めたからと、どうこう出来ないというのもある。

集団が崩壊すると困るのは一人だけではないのだ。
たった一人が輪を乱すようなことをすると、最悪、組織が機能しなくなる。
みながみなを疑い、集団内での争いが起こったりもする。
一概に 輪を乱すことのすべてを悪いとは断言できない。
しかし、これは自分自身が置かれやすい立場だから言うのだが、
彼らが自由奔放にしているのを見ている、自己を抑制している人からすれば
「こうはなってはいけないぞ」「迷惑をかけること=感情をあらわにすること」と捉えてしまう。
ますます自己を抑制することになり苦しいものになる。

夫婦喧嘩でもクレーム問題でもそうだが
内容は無茶苦茶でも相手を気圧させ言いくるめられれば勝利なんてことになりかねない。
穏便に進めようとしたり、相手を傷つけないようにと下手にまわるほど、つけこまれる。

矢で射貫くような一言を発したものなら攻めの勢いが弱まるだろう。
でも、決定的な矛盾を指摘して、火に油を注ぐことにもなるので、この際の言葉選びは難しい。

一方的にサンドバッグのようにされていては組織としてのパワーバランスが偏ってしまう。
組織に属している人たちは「誰の幸せのためってんだ??」と目的が曖昧にもなる。

集団の上っ面ではなく、実のところの本質を探りたいのでまだ話は続く。

個人的な価値観で話を進めると・・・
「みんなでよりよい生活」「みんなで楽しく」にはあまり関わりたくない。
その「みんな」ってどのくらいの数を言っているの?
「みんな」と言っても、一部の人が「よい・楽しい」になるだけで、その他の人は一部の人のために集められただけなのではないか?
主張の強い一人か数人だけが満たされ、その他の人が脇役となってしまうこともあるのではないか?
だから「うまい話」というのがまかり通っていて詐欺は横行している。
「幸せになりたい」「満たされたい」に加えて「特別でありたい」のだから・・・。


再度、学校レベルで例えるなら

「○○ちゃんは可愛いね!」と口では言っても妬んでいたりする。
妬みの対象ではあるが、あわよくば蹴落としてやろうと。
「可愛い○○ちゃん」と行動していれば自分にもイイコトがあるから仲良くしようと。
損得勘定に加えて、優劣をつけて自分を上に置こうともする。
おかしなことではないが、その感情が強く出てしまう人はかなり扱いにくいだろう・・・。
30代を過ぎてもそんなことをする人がいるんだから、本当に、「大人」と扱われることに年齢は関係ない。

一人でジッとしていられない私たちにはさまざまな居場所が用意されている。
仲良しこよしがしたくて組織を形成するわけではない。冒頭に挙げたバーベキューだって、学生のうちならまだいいのかも知れないが
大人たちのバーベキューなんていうのは
何百人規模で集まったり、仲間が別の組織にいる仲間を紹介してくれて人脈が広がっていったりする忙しそうな場所だ。
まさか、美味しい肉が食べられるからと集まるわけではあるまい。
美味しい話を持っていそうな人を嗅ぎつけて・・・
おいしい話に引っかかってくれそうな人を嗅ぎつけて・・・人脈が形成されていくような場所だ。

そこまで禍々しいものではないにしても

人脈づくりを「楽しいことの共有がしたいから」と思っているだけの人は珍しいだろうと思う。
必ず思惑があり、自分に有利に働く駒を求めている・・・
行動力があり、目標意識の高い人ほど自分の周囲に人間を集める。

人脈づくりを義務のように感じている人が多いと言われたほうが私は納得する。
コネクションなどによる待遇や、強い仲間意識が作用しているヒロイックな状態・・・。
人脈というものが、その人の存在の価値を決め、値踏みしている。
「勝ち」=「価値」なのだから協調性がやや欠けていても他人に忌み嫌われず自分のやりたいことをやる。
「価値」を評価してくれる人間を組み込み、あーだこーだと意味があるような無いような活動をする。

みんなが幸せになるのではない。
集団のなかで「余裕」が出た人のみが、気まぐれで「幸せ」を共有し、受け手が「やや幸せ」になるだけだ。

よりよい生活を求めて集まったものの、そういった希望を打ち砕かれることのほうが多いのではないか?

他者との繋がりは強要されているわけでもないのに、他者に価値があると思われたい承認欲求・・・。
自分ひとりでも自分の幸せや価値を見つけて満たされる人が私は好きだ。